人事制度で“公平”は不可能!? “公正”を目指すべき!?

1.“公平”な評価は実現できるのか?

うちの人事評価は上司の好き嫌いで決まる、なぜあの人より自分の賞与の方が少ないのか、年功的に給与が決まるのはおかしい・・・。人事制度に関連してよく出てくる社員の不満の声。特に、人材を獲得するのが難しく、社員が辞めてなかなか定着しない状況にあっては、この状況を何とかしなくてはならない。

そこで、“公平”な評価と処遇を実現するために、人事考課制度や賃金制度を見直そうとする。あるいは、評価者の評価能力を高めるために評価者研修を実施する。私情を決して挟むことなく“客観的”に評価するために… そして、評価基準を“統一”(あたかも全評価者が全く同じ評価ができるかでも思い込んでいるように)することを目指して…

 

果たして、こんな“公平”な評価や処遇は実現できるのであろうか?

 

今回は、「公平」という言葉の意味について考察することを通じて、その解決の糸口を探ってみたい。またここでは、考えやすいように、「公平」と同じようによく使われる「公正」との違いに焦点を当てたい。

 

2.“公平”と“公正”の違いとは

まず辞書を引いてみると下表のとおりであった。特に、私が引いた下線部分に着目すると、「公平」と「公正」とは意味合いが近いとしながらも、「確かに読んで字のごとく、「公平」という言葉を使うとき、そこには、「平らかである」⇒「かたよりがない」といったニュアンスがあり、「公正」という言葉を使うとき、そこには「正しさ」といったニュアンスがある。

また、それぞれの反対語を考えてみても、「不公平」(公平の反対語)というと、かたよっている、えこひいきしているといった意味合いがあるし、「不正」(公正の反対語)というと、「正しくない」といった意味合いがある。ちなみに、「不正」を辞書で引くと、「正しくないこと、法や道義に反すること。またその行い(明鏡国語辞典)」とある。

以上から、「公平」には、かたよっていない、えこひいきがないといった意味合いがあるのに対して、「公正」には、正しい、法や道義に反しないといった意味合いがあることが分かる。

 

<「公平」と「公正」の比較>

  広辞苑 明鏡国語辞典 新明解国語辞典
公平 かたよらず、えこひいきのないこと 判断や処理などがかたよっていないこと

(※)「公正」と意味が近いが、「公正」は正しいこと、「公平」はかたよらないことに重点がある

〔問題になっているものを〕自分の好みや情実などで特別扱いする事が無く、すべて同じように扱うこと
公正 ①公正で邪曲のないこと

②明白で正しいこと

公正で正しいこと 特定の人だけの利益を守るのではなく、だれに対しても公正に扱う様子

 

 

次に、英語の単語に着目してみる。ウィズダム和英辞典で「公平」「公正」を調べてみると、fairness、impartiality、justiceが説明されており、整理すると下表のとおりであった。特に、justiceの私が引いた下線部分の「法的に正しいこと」という意味合いは、先の理解を踏まえると、「公正」(=「正しいこと」=「法や道義に反しないこと」)に近いニュアンスが、justiceにはあることが読み取れる。

 

<「公平」と「公正」の比較(英語)>

  公平 公正
fairness

(↔unfairness)

私情・欲望などに左右されないこと 公平で正しいこと
impartiality

(↔partiality,bias)

えこひいき・偏見などがないこと えこひいきしないこと
justice

(↔injustice)

自己や他の関係者の利害に動かされず正しい規律を守ること 法的に正しいこと

 

さらに、justiceと似ている言葉に、equityがあるが、辞書からは違いが見えてこなかったために、Chat GPTに聞いてみると、こんな回答が返ってきた。

 

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“justice”(ジャスティス)と”equity”(エクウィティ)は、どちらも社会的な概念でありますが、微妙に異なる意味を持っています。

1.Justice(ジャスティス): 「Justice」は「正義」や「公正さ」を指します。これは法律、倫理、道徳などに基づいて、個人や集団に対して適切な処遇を行うことを意味します。公正さや均衡を保つために、法律や制度を通じて決定されることが多いです。一般的には、平等な権利や機会の提供、不当な差別や偏見の排除などが正義の一環とされます。

2.Equity(エクウィティ): 「Equity」は「公正」や「平等」を指しますが、厳密には「公正な結果」を重視する概念です。不平等な状態を解消するために、個々のニーズや状況に応じて異なる対処をすることを意味します。つまり、全ての人に同じ待遇を提供するのではなく、個別の状況やニーズに合わせて適切な対応をすることで、結果的に公正さを実現しようとする概念です。

要するに、ジャスティスは広い観点での公正さや法的な公正を指し、一方でエクウィティは個別の状況やニーズに基づくより柔軟な公正さを指します。両方の概念は社会的な均衡や良き社会の実現に向けて重要な役割を果たしています。

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先に着目した「公正」に近いjusticeには、「法律、倫理、道徳などに基づいて、個人や集団に対して適切な処遇を行う」とあり、ここでも「何かしらの基準に基づいていること」といったニュアンスが浮かび上がってくる。

 

 

少し遠回りしたが、「公平」や「公正」に対する解像度が少し上がったところで、話を元に戻そう。

 

(再掲)果たして、こんな“公平”な評価や評価は実現できるのであろうか?

 

3.人事制度は“公平”ではなく“公正”を目指す

人事制度において目指すべきは、判断にかたよりがない・えこひいきのない“公平”ではなく、判断が一定の基準に基づいている“公正”を目指すべきではないだろうか。

なぜなら、評価は、どこまでいっても主観であり、絶対的正解はどこにもない。答えがない以上、全評価者の結果をかたよりなく統一することは、本質的にも現実的にも不可能だと思うからである(本質的に主観であることの考察はまたどこかの機会に譲りたい)。

ゆえに、いくらかたよりをなくそうと思っても、出口のないトンネルをさ迷うことになってしまう。それどころか、“かたよりがない”ように無難な標準評価にしたり、“えこひいきがない”ように優劣をあまりつけないようにしたり、中心化傾向になるのが多くの帰着点ではないだろうか。それよりも一定の基準に基づいた評価・処遇を目指す方がより実効性のあるものになるのではないだろうか。

 

では、「一定の基準に基づいている」状態とは何か? 私が考えるポイントが3つある。

 

①制度的な根拠に基づいているか

まず1つ目のポイントは、自社で決められた人事制度の基準(例えば、評価項目や評価基準、昇格基準、賞与の決定ルール等々)、すなわち“制度的な根拠”に基づいていることである。当たり前といえば当たり前のことであるが、意外と理解できていないこともあるのではないだろうか。かつ、その基準やルールだけでは明文化・言語化されていないことが現実には出てくる。

 

②評価者に判断軸が備わっているか

そこで大切なことは、2つ目のポイントである。すなわち、評価者自身の基準に基づいているということである。自分勝手にという意味ではなく、制度の趣旨に照らし合わせながら、所定の基準を自分なりに解釈すると言い換えてもよいかもしれない。そのためには、評価者自身が、評価とどう向き合うのか? 部下とどう向き合うのか?自らの価値観や判断するための軸を持たなければならない。そして、その前提として、会社が目指すべき方向性や何が大切であるかを自分なりに咀嚼しておくことが必要となる。そういう意味では、制度の趣旨や会社の理念に沿っているという前提で、自らのいわば“人事哲学”に基づいている状態ともいえる。

 

③一貫性をもって説明できるか

最後の3つ目のポイントは、判断する基準に“一貫性がある”ということである。例えば、Aさんの昇格に対して判断した基準と、Bさんの昇格に対して判断した基準に一貫性があるということである。そして、一貫性があるということは、だれに対してもその基準とした根拠を問われたならば正々堂々と説明できるということである。仮に、上司の好き嫌いでかたよっているように見えたとしても、なぜと問われれば、一貫性をもって、制度的根拠と自らの人事哲学を根拠に説明することができるならば、それが“公正な”評価・処遇であるといえるのではないだろうか。それが経営者あるいは評価者としての責任であるともいえる。ちなみに、責任を示す英単語の一つに、responsibilityがあるが、質問に答え(respond)られる(-able)こと(-ity)を示す意味合いがある。

 

以上をまとめると、人事制度における“公正”とは、「所定の基準(制度的根拠)と自らの基準(人事哲学)に基づいて一貫性をもって判断し、その判断結果に責任を持てる状態」といえるのではないだろうか?

 

かたよりがないこと・えこひいきがないという「公平」を志向するよりも、「公正」を志向した方が具体的にすべきことが見えてくる。すなわち、制度を理解すること、自らの人事哲学を磨くこと、そして判断結果に対して責任をもち一貫性をもって説明できるようにすること。

本質的・現実的に不可能な“公平”を目指すよりも、“公正”な評価・処遇を目指されることをぜひおすすめしたい。

 

執筆者

飯塚 健二 
(人事戦略研究所 副所長)

独立系システム開発会社にて、システムエンジニア・人事・経営企画等の実務を経験。その後、大手金融系シンクタンク、監査法人系ファームにて人事・組織コンサルティングに従事した後、現職。主に人材・組織開発領域において、中小企業から大手企業まで規模・業界を問わず、15年以上の幅広いコンサルティング実績を持つ。
これまでに培った実践知と学際的な理論知(社会科学、認知科学、行動科学、東洋哲学等)を駆使しながら本質的・統合的・実践的なコンサルティングを行う。一社一社に真摯に向き合い、顧客目線に立った支援スタイルを信条とする。
キャリアコンサルタント。GCDF-Japanキャリアカウンセラー。iWAMプラクティショナートレーナー。

※コラムは執筆者の個人的見解であり、人事戦略研究所の公式見解を示すものではありません。

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