制度やスキルだけで人は育たない! 人を育てる極意②

前回(https://jinji.jp/hrblog/12883/)は、「育つ立場にある人(部下や後輩など)とどう向き合うのか?」について、まず育成の大前提として、“人として対等である”ことの認識やそこからくる言動・態度の重要性について述べた。

 

今回も、前回に引き続き、「育つ立場にある人とどう向き合うのか?」の観点から、“人を育てる極意”(育てるマインド) について取り上げてみたいと思う。

 

前回触れた“人として対等である”という大前提をクリアできているとして、例えば、人材育成に対してこんな気持ちがどこかにないだろうか。

 ・人材育成はしないといけないからやっている

 ・やらされ仕事になっている

 ・本当はやりたくないけど仕方なくやっている

 ・時間に余裕があり気が向けば教えている

 ・言いやすい人だけ教えている

 ・(できないことを指摘することで)自己満足している 等々

 

 

気持ちは伝わるもの

ところで、気持ちや感情、信念というものは、相手に伝わるものである。

例えば、何かをしてもらったとき、言葉として「ありがとうございます」という音声を単に発するとき(心にもない口先だけ、儀礼的・反射的に)と、

本当に感謝の気持ちを込めて「ありがとうございます」と発言するときとでは、

相手の受け取り方は当然に変わるものである。

読者もこれまで類似した経験をしたことがあるはずである。

そんなふうに言うなら許してあげたくなる「申し訳ございません」もあれば、

反省の色が少しも見えず逆に怒りを増幅させてしまう「申し訳ございません」。

ほかにも色々ある。

 

相手の成長を願う

同じことが、人材育成の場面でも当てはまる。先に挙げたような気持ちを持って接するのと、

 ・あなたが少しでも成長できるように

 ・あなたのこれからのことを思って

 ・あなたは成長する可能性を持っている

 ・あなたの成長を信じている

 ・(自分の時間の有無に関係なく)とにかく伝えたくて

 ・老婆心ではあるけれども…

かく、あなたの成長を真に願って接するのとでは、

相手への伝わり方は想像以上に変わってくるものである。

(なお、成長に対する信念(暗黙の知能観)が育成に与える影響については別の機会に触れてみたい)

 

あなたのその一言(心底にある気持ちや感情、信念の表出)が、相手の心を動かし、アクセルのように、成長への小さな一歩に繋がっていくのか。

それとも、相手の心を閉ざし、ブレーキのように、成長を阻害することに繋がるのか。

その分岐点となる。

 

その一言が難しい。故に、人を育てるのはある意味怖い。

しかし、見方を変えるならば、その相手を思う“本気の気持ちや信念”があるならば、たとえ伝える内容が本人にとって耳の痛い厳しいことであったとしても、甘受できるものである。むしろ、それが成長を促すこともある。

言わば“愛のある厳しさ”は、ときに相手の心の楔(くさび)となり、成長の契機となる。

 

23歳のとき、とある資料のチェックで誤字脱字を見過ごした私に、「仕事を舐めるな!」と強い口調で叱責してくれた上司。

社会人としての厳しさを伝えてくれたあの一言は、いまも私の中で生き続けている。

 

 

以上、「育つ立場にある人(部下や後輩など)とどう向き合うのか?」の観点から、前回は“人として対等である”、そして、今回は“相手の成長を願う”ことの重要性を述べてきた。

いま一度、実践できているか、自らを省みて頂きたい。

次回は、「(育てる側の)自分自身とどう向き合うのか?」の観点から、育てる極意(人を育てるマインド)について触れてみたいと思う。

執筆者

飯塚 健二 
(人事戦略研究所 副所長)

自社の経営に携わりながら、人材・組織開発、経営計画策定、経営相談など、幅広くクライアント業務に従事。中小企業から大手企業まで規模・業界を問わず、17年以上の幅広いコンサルティング実績を持つ。これまでに培った実践知と学際的な理論知(社会科学、認知科学、行動科学、東洋哲学等)を駆使しながら、バランス感覚を備えた、本質的・統合的・実践的なコンサルティングを行う。一社一社に真摯に向き合い、顧客目線に立った支援スタイルを信条とする。
キャリアコンサルタント/GCDF-Japanキャリアカウンセラー
iWAMプラクティショナートレーナー

※コラムは執筆者の個人的見解であり、人事戦略研究所の公式見解を示すものではありません。

バックナンバー