急激なベースアップが裏目に出る?パート・アルバイト社員の社会保険適用拡大と「年収106万円の壁」
労務関連
◆パート・アルバイトへの社会保険適用が義務化される企業数が大幅に増加
いわゆるパート・アルバイト等の短時間労働者に対する社会保険の適用拡大が段階的に進んできています。
2016年10月からは従業員数(※)501人以上、2022年10月からは101人以上500人以下、そして今年2024年10月からは51人以上100人以下の事業所において、一定の条件を満たした短時間労働者に対して社会保険を適用することが義務化されることとなります。
詳細は政府広報オンラインなどをご覧ください。
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202209/2.html
※従業員数のカウント方法:フルタイムの従業員数+週の所定労働時間数および月の所定労働日数がフルタイムの従業員の4分の3以上である従業員数
上記の基準に当てはまる事業所は「特定事業所」と呼ばれますが、特定事業所においては、
以下の条件が全て当てはまる短時間労働者は新に社会保険の加入対象となります。
•週の所定労働時間が20時間以上あること
•雇用期間が2か月超見込まれること
•賃金月額が88,000円以上であること
•学生でないこと
◆社会保険の適用による負担増と手取り減額を望まないパート・アルバイト社員も存在する
短時間労働者の社会保険適用に係わる上記4つの条件のうち、特に昨今課題となっているのが「賃金月額が88,000円以上であること」という部分です。例えば、1ヵ月に20日間勤務し、賃金月額が88,000円である場合、年収は単純計算で1,056,000円(≒106万円)となります。これがいわゆる「106万円の壁」と言われる問題であり、社会保険が適用されると保険料負担が発生して給与天引きが行われるため、社会保険が適用されない従業員よりも手取りが減少する、ということが起こります。
保険料負担は従業員と企業で折半となりますが、例えば厚生年金保険料と健康保険料を合算して月額1万円を超える従業員負担が必要な場面も出てきます。
もちろん、社会保険に加入することで、将来的に年金を受け取れるなどパート・アルバイト社員にとって大きなメリットもあるところですが、それ以上に、多くのパート・アルバイト社員にとって、目の前の手取り収入の減少を望まない社員も多く存在するのが実情です。
年収が上がりすぎることを好まないパート・アルバイト社員の存在は何も新しい問題ということではなく、従来から大きなテーマとしては存在していました。具体的には、「130万円の壁」という問題が別にあり、これは主たる生計者の扶養から外れる年収ラインであり、社会保険加入者の中でも、そのラインを超えないように働きたいというニーズは普通にありました。これに加えて、近年では社会保険への加入が必要になるかどうか、という点で「130万円の壁」よりも低い「106万円の壁」のラインで年収を意識しなくてはいけない事情が生じてきています。
このことに拍車をかけているのが、近年の大幅な最低賃金の引き上げ、社会的なベースアップの傾向です。特に最低賃金に関しては、毎年40~50円規模での大幅引き上げが毎年行われてきていることを受けて、社会保険への加入をしなくてすむ範囲で働きたい労働者にとっては、勤務時間や日数の調整など、難しいかじ取りを要求されることになっているということがあります。
例えば以下のような例を見てみましょう。
都市部では時給1,000円未満の募集を見つけることの方が難しくなってきていますが、大幅な時給アップの影響により、これまでと同じ時間・日数働く場合でも、月額88,000円のラインに近づき、あるいは超えやすい状況となってきていることが想像できます。
企業側としては、大幅な人件費負担の上昇を受け入れて時給アップを行っていますし、本来ベース時給が引きあがっていくことは労働者にとっても喜ばしいことのはずです。しかしながら、一部の社会保険への加入を望まない社員にとっては労働日数や労働時間を調整しなければいけない事態が増えるということでもあります。
筆者のクライアント先でもここ数年、実際にこうした経営サイド、労働者サイド双方の悩みが生じており、特に多くのパート・アルバイト社員(中でもフルタイムではなく短時間勤務を主体とした労働者を多く雇用している業態)を雇用している店舗経営型の企業にとっては顕著です。
常に正社員あるいはパート・アルバイト社員を潤沢に抱えることができている企業であれば各種の勤務調整もしやすいですが、大半の企業においては人手不足が深刻な状態が続いており、賃金のベースはどんどん引き上げていくことが必要になっています。
働き手にとっても、全国的な物価高の影響を受けて少しでも家計の足しにしたいと考える人が増えてきていることもありますから、ベースが引きあがること自体は本来望まれるものであるところ、社会保険への加入が必要なラインを考えると働きたくても働けない、という事情からシフトの日数や勤務時間を調整したり、やむなく退職して別の働き先を探したりという例も実施に存在しています。そうした場合、シフト調整を行う正社員のマネジメント負担が増えたり、あるいは既存の正社員または比較的長く働くことのできるパート・アルバイト社員の労働時間の増加に繋がったりなど、別のところにしわ寄せがいくことになります。こうした状態は企業と労働者にとってwin-winとは真逆で、lose-loseになっているとさえ考えられます。
◆企業側に求められる対応~ベースアップを機に、パート・アルバイト社員の活用方針、各種人事制度を見直す~
最低賃金の上昇、また人手不足の状況も当面の間続くことが予想されます。そうした中、パート・アルバイト社員を多く抱える企業では上記問題への対応が益々深刻になってきますが、大半の企業は対応が後手後手になっている印象を受けます。
最低賃金の上昇、またベースアップへの対応については正直やらないわけにはいかないという側面もありますが、そうであるがゆえに、パート・アルバイト社員の活用方針、また賃金制度をはじめとした各種人事制度についても積極的に見直しを行うべきタイミングに来ていると言えます。例えば、以下のような方向性は重要な検討テーマに上がってくるでしょう。
・ベース時給の引き上げに加え、柔軟な働き方を更に可能にしていくことで企業の魅力度を高め、短時間労働者の頭数を増やしていくことで、社会保険への加入をしない状態で働けるようなシフト調整を柔軟に行えるようにしていく
・賃金制度面の工夫として、「月給88,000円」の計算の対象外となる手当や賞与などをパート・アルバイト社員設けて対応する(時間外労働手当、休日・深夜手当 、賞与や業績給、慶弔見舞金など臨時に支払われる賃金、精皆勤手当、通勤手当、家族手当などは計算に含まれないため)
・あるいは、これまで社会保険への加入が必要ない短時間労働者を中心に雇用してきたが、今後は社会保険への加入も前提とした形で、より長く働いてくれるパート・アルバイト社員を増やす方向に組織運営の考え方をシフトしていく
・そのために、より長く(日数・時間)働いてくれるパート・アルバイト社員に対して賃金面での処遇を手厚くしたり(社会保険加入による労働者の保険料負担分を超えるような処遇アップとなるように賃金制度を見直す)、あるいは既存のパート・アルバイト社員の正社員転換を進めていく
・その際は、完全に正社員と同じ労働条件ではなく、勤務地や職務内容を限定できる「限定社員制度」などを設けることで柔軟な働き方を可能にする
上記はあくまで一例ですが、今後、パート・アルバイト社員の活用方針や処遇の見直しに関して大きな転換を迫られる企業が増えてくることは間違いなさそうです。多くの新しい取り組みなども出てくるでしょうから、同業他社をはじめ、様々な事例の情報収集を積極的に行うことも怠らないようにしてください
<参考>
筆者の所属する人事戦略研究所では、正社員の人事制度構築はもちろんのこと、パート・アルバイト社員の人事制度構築に特化したサービスとして、「パート・アルバイト人事制度 策定コンサルティング」も展開していますので、情報収集の一環としてご参考ください。
https://jinji.jp/hrconsulting/parttimer/
執筆者
森中 謙介
(人事戦略研究所 マネージングコンサルタント)
人事制度構築・改善を中心にコンサルティングを行う。業種・業態ごとの実態に沿った制度設計はもちろんのこと、人材育成との効果的な連動、社員の高齢化への対応など、経営課題のトレンドに沿った最適な人事制度を日々提案し、実績を重ねている。
※コラムは執筆者の個人的見解であり、人事戦略研究所の公式見解を示すものではありません。
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