最低賃金1000円時代における人事対応の在り方

安倍首相は、昨年11月に決定した「1億総活躍社会」の実現に向けた緊急対策で、現在全国平均798円の最低賃金を2016年以降、毎年3%程度ずつ引き上げて、全国平均で1000円を目指すことを表明しました。さらに政府内には、2020年頃を目途に1000円を目指すという案もあるといいます。その場合、年5%のハイペースで引き上がる計算となり、特にパート・アルバイトを多数抱える小売業、外食産業、サービス業にとっては、死活問題です。
  
とはいえ、既に都市部では、極度の人手不足に押し上げられる形で、時給1000円時代が到来しているといえます。リクルートジョブズ発表の「2015年11月度アルバイト・パート募集時平均時給調査」でも、三大都市圏の平均時給は981円に達しており、地域別では以下のような水準となっています。
 
● 首都圏の平均時給は1019円(前年同月999円、前月1014円)
● 東海の平均時給は924円(前年同月907円、前月921円)
● 関西の平均時給は948円(前年同月926円、前月944円)

 
しかも、最低賃金上昇は世界的な傾向となっています。米国ロサンゼルス市では2015年6月、当時9ドル(約1080円)の最低時給を、2020年までに15ドル(約1800円)にまで、段階的に引き上げる条例案を可決しました。ドイツでも、2015年1月より最低時給を8.5ユーロ(約1150円)とする最低賃金法が施行されました。
 
このように見てみると、目先の人手不足が解消すれば時給上昇も頭打ちになる、といった単純な構造ではなくなっているといえます。
 
では、企業の経営者や人事担当者は、この問題に対して、どのような対応策を検討する必要があるのでしょうか。
 
人件費影響度シミュレーション
まずは、時給アップが、自社の人件費に対してどの程度の影響があるかを計算しておきましょう。
 
この際、もう一つ頭の痛い問題が、社会保険加入対象者の拡大です。現状「週30時間以上」となっている加入対象者が、2016年10月からは、以下のように拡大されるのです。当面、従業員500人以下の企業は実施を猶予されていますが、いずれ適用されることも予想されます。
 

 
   ① 週20時間以上
   ② 月額賃金8.8万円以上(年収106万円以上)
   ③ 勤務期間1年以上見込み
   ④ 学生は適用除外
   ⑤ 従業員501人以上の企業(適用拡大前の基準で適用対象となる労働者の数で算定)
 

 
[図表1]は、平均時給アップおよび社会保険加入者拡大による、パート・アルバイト(P/A)の人件費増加を試算したシミュレーション例です。平均時給900円の会社が、1000円に引き上がるケースを想定しています。
 
この事例では、全体の年間勤務総時間(合計人数×年間平均勤務時間)は60万時間で変更がないにもかかわらず、人件費は社保加入対象者変更なしで11.1%、社保加入対象者が拡大した場合だと14.2%の増加となっています。
 
[図表1]時給アップの人件費影響度シミュレーション例

給アップの人件費影響度シミュレーション例

[注]1.社会保険料の会社負担分は、15%として算定。
   2.「増加分」はいずれも「①2015年現在」との比較。
   3.△印はマイナス
 
対応策の検討
さて、人件費への影響度が把握できると、この増加分をどのように吸収していくかの対応策を検討します。もちろん、「売上高を上げる」「粗利益利率を高める」といった業績向上が重要なのは当然ですが、ここでは人事施策に絞って考えてみましょう。人件費をコントロールする方法は、主に次の三つです。
 

 1.人員(勤務時間)コントロール
 2.賃金コントロール
 3.雇用形態コントロール

  
まず、人員コントロールですが、時間当たりの賃金コストが上がる以上、生産性を高め、少人数で事業運営できる体制をつくらなければなりません。欧米諸国に比べて、特に非製造業の労働生産性が低いと言われる日本企業ですので、思い切った改善を考える必要があります。
 
[図表2]は、ある小売業で曜日・時間帯別の平均売上高と平均人員を示しています。これを見ると、平日は少ない人員で販売しているものの、それ以上に売上高が低くなっています。1人員当たりの売上高でも、平日の午前中や14~17時までは1万円以下と少ないのに対して、土・日・祝の夕方以降が2万円以上と明らかに高くなっています。
 
週末の夕方以降はパート・アルバイトが集まりづらいとった採用環境の厳しさはあるにせよ、小まめなシフト調整を行うことなどにより、人員コントロールできる余地は大きそうです。
 
[図表2]小売業での時間帯別「平均売上高/人員比較」例

売業での時間帯別「平均売上高/人員比較」例

次に賃金コントロールですが、曜日・時間帯別の時給設定や地方への拠点展開といった手段はあるものの、平均相場や最低賃金が急速に上昇していく環境下では、対応策の余地は限られると思われます。
 
最後に、雇用形態コントロール。正社員、契約社員、シニア社員、パート・アルバイト、派遣社員といった雇用形態ごとの人員構成の最適化です。
 
小売業や外食産業では、パート・アルバイト比率が80%以上という企業も珍しくありません。そのような業界でも、「契約社員店長」「パート店長」など非正規社員の戦力化策に加え、増加するシニア社員の活用、クラウドソーシングによる業務の外注化など、検討すべき対策は残されているでしょう。
 
以上、最低賃金1000円時代における人事対応の在り方、について考えてみました。
 
最後に、ウルトラCの対応策を。三越伊勢丹が2016年より、首都圏8店舗にて1月の初売りを2日から3日に変更しました。百貨店であれば、喉から手が出るほど欲しい初売りの営業を1日放棄したのです。社員の労働環境改善が狙いということですが、このニュースに大きなヒントがあると思います。
 
年中無休、閉店時間延長、24時間営業と、小売・飲食業界は競って営業時間を拡大してきました。しかし、日本全体の消費量が増加するわけではありません。フランスでは夜間や日曜日における、就労や店舗営業が厳しく制限されています。日本でも、同じような政策を行えば、確実に労働生産性は改善するでしょう。その場合、例えば「コンビニエンスストアは、7時から23時までしか営業を認めない」というように法令や業界ルールを定めないといけません。販売競争が続くコンビニ業界の中で、1社だけ営業時間を減らすことは考えられないからです。
 
小売業や外食産業の労働生産性向上は、世界一便利と称される日本の都市部の生活者が、一定の不便さを許容できるかどうかにかかっていると思います。

執筆者

山口 俊一 
(代表取締役社長)

人事コンサルタントとして20年以上の経験をもち、多くの企業の人事・賃金制度改革を支援。
人事戦略研究所を立ち上げ、一部上場企業から中堅・中小企業に至るまで、あらゆる業種・業態の人事制度改革コンサルティングを手掛ける。

※コラムは執筆者の個人的見解であり、人事戦略研究所の公式見解を示すものではありません。

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