中堅・中小企業がスキルベース人事を導入する前に考えるべきこと
~スキルベース人事は「目的」ではなく「手段」~
人事制度
近年、「スキルベース人事」という言葉を耳にする機会が増えました。人的資本経営への関心の高まりやAIの進展、人材の流動化などを背景に、社員一人ひとりのスキルを可視化し、人材育成や配置、キャリア形成などへ活用する考え方として注目されています。
※本記事では、「社員のスキルを整理・可視化し、人材育成・配置・評価などへ活用する考え方」を総称して「スキルベース人事」と表現します。
スキルベース人事が注目されている背景には、企業側の事情だけではなく、働く人の価値観の変化もあります。
「どの会社で働いているか」だけではなく、「どのようなスキルを身につけているか」を重視する人が増えています。また、AIの進展などにより、求められる能力も急速に変化しています。そのような環境変化を考えれば、社員のスキルを可視化し、育成や配置へ活用しようという考え方には十分な合理性があります。
こうした背景もあり、「自社でもスキルベース人事を導入すべきではないか」と考える企業が増えていることは自然な流れでしょう。
だからこそ、一度立ち止まって考えていただきたいことがあります。それは、「自社にとって本当に必要な手段なのか」という視点です。本記事では、スキルベース人事の良し悪しを論じるのではなく、導入する前に考えたい3つの問いをご紹介します。
導入する前に考えたい3つの問い
① 求める人材像は描けているか
まず考えたいのは、「自社が求める人材像を描けているのか」です。
スキルベース人事は、社員に必要なスキルを整理・可視化するものですが、最初に重点を置くべきはスキルそのものではありません。企業がどのような人材を求めているかが定まってはじめて、必要なスキルも具体的に浮かび上がってきます。
もし人材像がきちんと描けていて、そこから必要なスキルを具体化できるなら、スキル情報を見える形にし、活用することは効果的な施策となるでしょう。特に社員数が多く、異動やプロジェクトの組み替えが頻繁に行われる企業では、こうした仕組みが大きな効果をもたらします。
一方で、求める人材像がはっきりしていないなら、必要なスキルも定まりません。そうなると制度は作れても、何を基準に育成や配置、評価を行うのかが曖昧になってしまいます。
以前、人的資本経営の推進を目指すある企業から「スキルベース人事を導入したい」とご相談をいただいたことがありました。彼らの想いはとても強く、社員を大切にし成長を支えたいという熱意が伝わってきました。人材不足への危機感も背景に、賃上げや福利厚生の充実といった投資も積極的でした。
ところが話を深掘りすると、気になる点がありました。中期経営計画には数値目標がありましたが、「それを実現するための事業戦略や、それに沿った育成対象者像」が十分整理されていなかったのです。結果、「求める人材は?」「必要なスキルは?」という問いに明確な答えが出せない状況でした。
確かにスキルベース人事の導入で、人的資本経営への意志は示せるでしょう。ただ、会社にとっての求める人材が曖昧なままでは、それに伴うスキルも定まらず、管理項目だけが増えてしまい「何のためにやっているのか分からない」状態に陥りかねません。そうしたケースでは、まずは事業戦略と人材戦略の整理、つまり「会社がどんな人材を必要としているのか」を言語化することをお勧めしています。
② その手段は本当に最適か
次に考えたいのは、「スキルベース人事が本当に課題解決に適した手段なのか」です。
企業が抱える人事上の問題に対しては、解決策が一つとは限りません。評価の納得感を高めたいなら、評価基準を具体化する方法や評価者教育を充実させる方法など、別のやり方もあります。役割が曖昧なら役割定義を見直すなども選択肢です。
以前、評価のばらつきをなくしたいという企業から、「スキルベース人事を取り入れたい」というご相談をいただいたことがありました。評価基準を細かくスキルで定義すれば改善できる、という発想だったようです。話を聞くと、被評価者から「あの部署は評価が甘い」との声、評価者からは「自分は厳しくしているのに他部署は甘い」との声が出ており、評価に対する不満が溜まっているのがわかりました。
しかし、さらに詳しく伺うと、肝心な部分が見えてきました。評価者間で基準をすり合わせる場がほとんど設けられておらず、人事部門が最終的に調整をしているだけという状況だったのです。
確かに、基準を明確にすれば解釈のズレは少し減るでしょう。ただ、それだけでは根本解決にはなりません。評価者同士が意見を交わし、基準に対する共通理解を育む文化や仕組みがないかぎり、スキルに基づく細かい評価項目に変えても「甘い部署がある」「あの評価者は甘い」といった議論が形を変えて続く可能性が高いです。
こうした事例では、まず評価者間で目線を合わせ、評価運用のルールを整備することを優先した方が効果的だと感じています。
③ 運用し続ける体制は整っているか
最後に考えておきたいのは、「導入後も継続して運用できる体制が整っているかどうか」です。
スキルベース人事では事業環境の変化に応じて、必要なスキルの見直しが発生します。新たなスキル追加やレベル定義の更新だけでなく、評価者や社員への説明・周知なども必要で、導入後もメンテナンスに相応の手間がかかります。一般的な能力や役割ベースの人事制度と比べると、相対的に運用負担はやや重いと言えるでしょう。
制度は作っただけでは完結しません。継続的に運用してこそ意味があります。運用を前提にした設計を怠ると、制度が形骸化し、「スキル一覧だけがいつまでも残る」なんて状態になりがちです。こうした点は特に注意すべきでしょう。
おわりに
人事の領域では常に新しい考え方や手法が現れてきます。しかし、何より重要なのは「どんな制度を取り入れるか」ではなく、「自社の目指す姿に対して、その手法が本当に合っているか?」という点に尽きると思います。
スキルベース人事の考え方自体は非常に有意義です。ただし全ての企業にとって「絶対の正解」というわけではありません。まずは「自社が求める人材像を描けているか」「その実現にスキルベース人事が最適手段か」「継続運用可能か」という3つの問いに向き合い、それでも導入が適切なら、きっと大きな価値をもたらすことでしょう。
以上、本稿ではスキルベース人事を導入する前に考えるべき3つのポイントをご紹介しました。次回はその中でも「本当にスキルベース人事が最適な手段か?」の視点に焦点を当て、どのような企業に効果的か、あるいは実現的かを掘り下げてみたいと思います。
※コラムは執筆者の個人的見解であり、人事戦略研究所の公式見解を示すものではありません。
