人事部受難の時代 ─ それでも、人事が主役である理由
戦略的人事
いま、多くの企業で「人事部が一番忙しい」と言われています。法改正、賃上げ、人手不足、AI活用、人的資本経営…。どれをとっても一つの部署が同時に背負うにはあまりに重たいテーマです。
まさに「人事部受難の時代」と言ってもいいでしょう。
1.法改正と社会的要請の板挟み
ここ数年、労働法制は大きく様変わりしています。ハラスメント防止、育児・介護支援、フリーランス保護、同一労働同一賃金、65歳までの雇用義務化。これらは一つひとつが重いテーマであり、しかもすべて「期限付き」でやってきます。その合間を縫って、人的資本開示やAI導入など新しい課題も押し寄せ、もはや「対応」だけで精一杯、という声があがるのも当然です。それにもかかわらず、社内アンケートで「人事への不満」が目立つ現実。
現場からは「採用できない」「昇給が足りない」、経営からは「生産性を上げよ」「制度を見直せ」。まさに四面楚歌の状態です。
2.採用の質を上げるという新たな戦場
2026年の人材市場は、AI・DX専門職を中心に争奪戦が続きます。若手層の定型業務が自動化される一方で、「要職を担う人材が採れない」という声が急増しています。つまり、採用の勝負は“人数”ではなく“質”の時代に入ったということです。母集団形成から選考プロセス設計、入社後のオンボーディングまで、一連の体験設計が企業ブランドそのものを左右する時代。
人事はもはや「採用担当」ではなく、「候補者体験(CX)」のデザイナーとしての力量が問われています。
3.歴史的賃上げと格差調整のジレンマ
2024年以降、春闘の賃上げ率は5%前後という高水準が定着しています。「賃上げは当然」という空気が広がるなかで、人事は経営の台所事情と現場の期待、双方に挟まれる板挟み状態です。最低賃金と初任給の上昇は、内部格差を容易に発生させます。「新人より既存社員が低い」という逆転現象も珍しくなくなりました。賃上げそのものより、「賃上げ後の整合性をどうとるか」が最大の課題になっています。
給与テーブルの再構築、等級制度の再設計、評価軸の透明化。今後の人事には「制度整備」から「制度運用を通じた納得形成」へと一歩踏み込む姿勢が求められます。
4.黒字リストラが突きつける現実
好業績にもかかわらず希望退職を募る。そんな「黒字リストラ」が珍しくなくなりました。背景にあるのは、AI・DXを前提にした事業構造転換です。いま黒字だからこそ、未来に備えて人材を入れ替える。人事部は、その矢面に立ちます。対象者選定、条件提示、説明、キャリア支援、そして残る社員のケア。「人を守りたい気持ち」と「経営判断の現実」の間で、心を削りながら対応している担当者は少なくありません。
しかしそこで問われているのは、単なる調整ではなく「人事の倫理」です。人をどう扱うか、その姿勢が企業文化を決定づける。まさに人事が企業の“品格”を映す鏡になっています。
5.ジョブ型と人的資本経営が変える人事の存在意義
ジョブ型雇用はまだ試行段階にありますが、大企業を中心に確実に広がっています。職務を定義し、スキルに基づいて処遇を決める。その設計を担うのが、まさに人事の専門領域です。さらに、人的資本経営が進むことで「人件費を払う部署」だった人事が変わります。
これからは「人材投資の成果」を数字とストーリーで語る時代。つまり、人事は経営戦略を“人の側”から描く部門へと進化していくのです。
6.AIが奪う仕事、AIが開く未来
生成AIが登場して以来、「人事の仕事がなくなるのでは」という声もあります。しかし実際には、人事の仕事はAIによって再定義されるだけです。AIが求人票や評価コメントのドラフトを作り、従業員エンゲージメント分析を可視化してくれるようになった今、人事は「どこを自動化し、どこを人が担うか」を設計する立場に変わります。
AIが事務を担い、人が判断と対話を担う。その切り分けをデザインできる人ほど、人事の中核人材になっていくでしょう。
7.人事パーソンが今、持つべき視点
結局のところ、人事の仕事とは経営と現場を“つなぐ”仕事です。制度を整えるだけではなく、経営の意図を現場に翻訳し、現場の声を経営にストーリーとして届ける。その双方向の翻訳力こそが、これからの人事に求められる最大のスキルだと思います。
人事部は今、確かに受難の時代にあります。けれども裏を返せば、それだけ組織に期待されているということでもあります。今ほど、人事が会社の未来を左右する時代はありません。今採用している新人が、数十年後に社長になるかもしれない。その可能性をデザインできるのが、人事という仕事の本当の面白さです。
「受難」の裏に、「主役」という言葉が隠れている。私はそう信じています。
※コラムは執筆者の個人的見解であり、人事戦略研究所の公式見解を示すものではありません。
