家族手当の是非

90年代後半から2000年代にかけて、日本企業の人材マネジメントの領域を席巻していたのは「成果主義」であった。それまで、年功や職能などの属人的要素によって決定していた給与・賞与を、個人業績や発揮能力(コンピテンシーなども含む)、さらには職務内容によって決定する仕組みが、成果主義の下ではもてはやされた。
 
成果主義を標榜したこの一連の人材マネジメント改革は、コストコントロールの側面からは一定の効果を企業にもたらしたものの、他方、従業員のモチベーションやメンタルヘルスの側面では様々な弊害を生むことにもつながった。
 
このような成果主義ブームの中で、賃金制度改革に取り組む日本企業の多くが実施した措置の一つに、「家族手当の廃止」がある。成果主義の下では、原則として属人的要素を排するため、個人のパフォーマンスに直接的に関係しない家族手当については、真っ先に見直しの対象となった。
 
人事コンサルタントである筆者も、顧客企業の人事制度改定の一環として、家族手当の廃止を提案し、導入を支援してきた経験がある。当時の経済状況や顧客企業の業績・ニーズ等を鑑みれば、当該措置は必要であったと思うし、現在でもその判断に間違いはなかったと考えている。
 
成果主義を推し進める以上、人材マネジメント全体としての整合性を担保する観点からは、家族手当のような属人的手当は極力排するべきである。 しかしながら、「家族手当」という賃金項目を、単に「属人的な手当」というだけで否定しているわけではない。企業のポリシーとして、従業員の家族にも目を向けること自体は、非常に素晴らしいことであると思っている。
 
また、「家族がいることで仕事に張り合いがでる」と感じる従業員が多数いるような企業(※社風として)であれば、家族手当の存在意義や存在価値は十二分にあると考えられる。
 
社会学的な見地からは、今後はより一層、「家族」や「家庭」の重要性が高まることになるであろう。それも時代の流れである。成果主義という概念が必要とされた時代には、家族手当の廃止は自然な流れであった。逆に、これからの時代においては、家族手当を支給する方が、人材マネジメント施策としての妥当性を有していると言えるかもしれない。
 
時代に合わせて経営手法を変えていく必要があるのと同じく、人事制度もまた、時代に合わせて変えていくべきである。
 
そのような観点に立脚すれば、一度廃止した家族手当を復活させることは、何も”駄策”ではない。もちろん、既述したように、人材マネジメント全体としての整合性は担保される必要があるが、これからの時代の流れや要請を踏まえれば、「成果主義で基本給や賞与は処遇する」一方で、「従業員のライフサポートの観点から家族手当も支給する」という考え方にも整合性があると言えるのではないだろうか。。。
 
要は、家族手当の是非は、時代と会社のポリシーによって決まってくることなのである

執筆者

岩下 広文 
(人事戦略研究所 上席コンサルタント)

1999年大学卒業後、国内事業会社において人事・総務等の実務に従事。その後、人事アウトソーシング会社、及び外資系大手コンサルティングファーム(※監査法人系)にて人事コンサルティング業務に従事した後、現職。
人事コンサルティング歴は20年以上にわたっており、人事制度構築や退職金制度設計だけでなく、組織・人事面における多様なテーマでのコンサルティング経験を有する。
また、過去に担当したクライアントの規模も、中堅・中小企業から数千名の大手上場企業までと、広範にわたっている。
きめ細やかな制度設計と顧客の実状を踏まえた提案・助言に定評がある。

※コラムは執筆者の個人的見解であり、人事戦略研究所の公式見解を示すものではありません。

バックナンバー