賃上げ原資をどう確保するか -持続可能な人件費構造を設計するための6つの論点-

「今年も賃上げをしなければ採用できない」

「賃上げしなければ社員が定着しない」

こうした悩みを抱える企業が増えています。春闘における賃上げ率は高水準で推移しており、賃上げは大企業だけでなく、中堅・中小企業にとっても避けて通れないテーマになっています。

 

一方で、すべての企業が十分な利益成長を背景に賃上げできているわけではありません。実際には、業績改善が伴わないなかで、人材確保のためにやむを得ず賃上げを行う「防衛的な賃上げ」も増えています。この状態が続けば、賃上げは社員への前向きな投資であると同時に、企業の収益構造を圧迫するリスクにもなり得ます。

 

重要なのは、「賃上げをするかしないか」ではなく、「限られた原資をどこに、どのように配分するか」です。本ブログでは、賃上げ原資問題がなぜ深刻化しているのかを整理し、持続可能な人件費構造を実現するために経営・人事が検討すべき論点を解説します。

 

本ブログのポイント

  • 春闘における賃上げ率は高水準で推移しており、賃上げは一時的な対応ではなく継続的な経営課題となっている
  • 業績改善が伴わない「防衛的な賃上げ」も増えており、特に中堅・中小企業では賃上げ原資の確保が大きな課題となっている
  • ベースアップの恒久的な積み上がり、価格転嫁の遅れ、方針のない一律配分により、人件費構造の見直しが必要になっている
  • 持続的な賃上げを実現するためには、ベースアップ配分、賃金カーブ、手当、賞与、退職金、採用・要員計画を一体的に見直すことが重要である

 

1.賃上げの現状

2026年春闘の連合第5回集計では加重平均5.05%、ベースアップ等の「賃上げ分」も3.51%で昨年・一昨年に引き続き高水準となりました。一方で、日本商工会議所のアンケート調査(2025年12月)によれば、業績改善が無い状況での「防衛的な賃上げ」の企業割合は35.5%と、前年(32.6%)より増加しており、業績で原資を生み出せていないにもかかわらず、人材確保のために賃上げをせざるを得ない企業が増えているのが実態です。

 

直近5年の推移を見ると、賃上げ率は2021年の1.78%から2024年は5%台に到達し、その後も5%台が定着しつつあります。

 

春闘 賃上げ率 うち ベア相当分
2021年 1.78% 0.55%
2022年 2.07% 0.63%
2023年

3.58%

2.12%

2024年

5.10%

3.56%

2025年

5.25%

3.70%

2026年 5.05%

3.51%

※2021年~2025年は最終結果、2026年は第5回回答集計結果

(日本労働組合総連合会のHPより弊社にて整理)

 

例えば、賃上げ率5%が3年続けば、人件費総額は単純計算で約15.8%増加します。これは、売上や利益が同じペースで伸びていない企業にとっては、極めて大きな負担増です。賞与・退職金・社会保険料負担を含めれば実質的な負担増はさらに大きく、賃上げの原資問題は避けて通ることのできない経営アジェンダとなっています。

 

2.賃上げ原資問題の顕在化

賃上げの原資問題が深刻化してきている要因は主に3つあります。

 

要因① ベースアップの恒久的な積み上がり

定期昇給と異なり、ベースアップは賃金テーブル全体を底上げするため、一度実施すると人件費総額に恒久的に積み上がります。ベースアップ3%が3年続けば賃金テーブルは複利で約9.3%底上げされ、賞与・退職金・社会保険料負担にも波及します。

 

要因② 価格転嫁の遅れ

特に中堅・中小企業では、業種・業態によって、取引先との交渉力の差や業界内の価格競争により、原材料費・エネルギー費の上昇すら販売価格に十分転嫁できていないのが実態です。原材料費やエネルギー費の上昇分を価格転嫁できなければ、賃上げに回すべき利益原資は圧迫されます。さらに、賃上げ分まで販売価格に反映できなければ、人件費増加分はそのまま利益率の低下要因となります。

 

要因③ 方針のない一律配分

ベースアップは元来、賃金テーブルを全社員一律で底上げする仕組みとして運用されてきました。賃上げ水準が低い水準で安定していた時代には、一律配分でも大きな問題は生じませんでした。しかし、賃上げ水準が高止まりするなかで、明確な配分方針を持たないまま一律配分を続けることのリスクが顕在化しています。同じ原資総額でも配分の仕方次第で投資効果は大きく変わるため、配分設計を経営課題として考える必要があります。

 

要因 概要
①    ベースアップの恒久的な積み上がり 賃金テーブル全体を底上げするため、人件費に対して恒常的に影響を与えている
②    価格転嫁の遅れ コスト上昇分を販売価格に転嫁できず、原資を圧迫している
③    方針のない一律配分 明確な方針なく一律配分しており、投資対効果が十分でない

 

 

3.賃上げ原資を確保するための6つの論点

賃上げ原資の確保は、単年度の予算調整で解決できる問題ではありません。賃金制度・人員構造を含む中長期的な制度設計の見直しが必要です。ここでは経営・人事が検討すべき論点を6つに整理します。

 

論点① ベースアップ配分の検討

前章で挙げた「方針のない一律配分」への対応として、全社一律のベースアップから、等級・役職・職種に応じた配分へと切り替えることを検討する必要があります。採用競争が激しい職種には市場水準を意識したベースアップを実施する、管理職層の定着を意識したベースアップを実施する等により、限られた原資を採用力・定着力に直結する形で投下できます。

 

論点② 賃金カーブの再設計

年功的な賃金カーブを見直し、若手・中堅・シニア層への配分バランスを再構築することを検討する必要があります。ここでは2つの観点を示します。

 

1つは、賃金カーブのフラット化による総額抑制です。採用競争力の面から、若手の初任給引き上げは避けにくい一方、上位等級の昇給を抑制せずに若手だけを引き上げると、賃金カーブ全体が押し上げられ、人件費総額がさらに膨張します。賃金カーブをフラット化することで、若手に対する厚い配分と総額抑制の両立を目指すことができます。

 

もう1つは、役割・貢献に応じたメリハリの強化です。年齢や勤続年数に応じた一律の昇給ではなく、果たしている役割の大きさや組織への貢献度に応じて処遇差を設ける設計です。フラット化と同時にメリハリを強化することで、総額を抑えつつも、責任や成果に見合った処遇を提供できる構造を作ることができます。

 

ただし、賃金カーブの再設計は中堅・シニア層の処遇低下感を伴う可能性があるため、既存社員への移行措置、非金銭的なものも含めた動機づけを組み合わせる設計が不可欠です。

 

論点③ 手当の整理・統合

住宅手当・家族手当・地域手当・食事手当などの諸手当を見直し、基本給への統合、支給対象の再定義、廃止・縮小などを含めて再整理する必要があります。各社様々な手当が設定されているケースがありますが、過去の経済環境・働き方・家族構成を前提に設計されたものが多く、現代の社員構成にそぐわなくなっているケースも少なくありません。

 

ただし、手当の整理統合は、廃止する手当の対象者にとっては不利益変更となるため、適切な移行措置と説明プロセスの設計が重要です。

 

論点④ 賞与からの原資シフト

基本給の引き上げが避けられない局面では、賞与など既存の変動費部分から原資の一部をシフトすることを検討する必要があります。

基本給の引き上げは採用競争力や社員の生活水準への影響が大きく、軽視できません。一方で、新たな原資を業績や生産性向上で生み出す余地が限られる場合、既存の人件費総額の内訳を組み替えることが現実的な選択肢となります。具体的には、賞与の支給月数や算定基礎を見直し、捻出した原資を基本給の引き上げに振り向ける設計です。

 

また、基本給へのシフトは月例賃金の安定性を高める一方で、賞与水準の低下として受け止められる可能性があります。そのため、単なる賞与削減ではなく、年収水準・業績連動性・採用競争力を踏まえた人件費配分の見直しとして説明することが重要です。賞与水準の業界比較を行ったうえで、社員への説明や合意形成のプロセスも丁寧に進めることが不可欠です。

 

論点⑤ 退職金からの原資シフト

賞与と同様に、退職金も賃上げ原資の振替元として検討の余地があります。つまり、退職金の水準や算定方法を見直し、原資を基本給の引き上げに充てる考え方です。

特に、最終基本給に勤続年数別の係数を乗じて算定する従来型の退職一時金制度では、ベースアップによる基本給の上昇がそのまま退職金の増加につながります。賃上げを続けるほど将来の退職金負担も増える構造のため、退職金の算定基礎を最終基本給から切り離す見直し(ポイント制退職金制度への移行など)や、制度そのものの廃止・縮小を検討することで、将来負担を抑制しつつ、その原資を現在の賃上げに充てることができます。

 

ただし、退職金制度の見直しは社員にとって不利益変更となる可能性が高く、慎重な対応が求められます。適切な移行措置と十分な説明プロセスの設計が不可欠です。

 

論点⑥ 採用・要員計画の見直し

賃金制度の見直しと並行して、要員計画そのものを賃上げ原資の制約から再設計することを検討する必要があります。人件費総額は「単価×人数」で決まります。賃上げにより単価の上昇が避けられないなかで、人数面での原資コントロールを意識的に行うことが、原資問題への現実的な対応となります。ただし、これは単に採用数を抑制するという意味ではありません。限られた人件費原資を、事業成長に必要なポジションや付加価値の高い業務に重点的に投下するための要員ポートフォリオの見直しです。具体的な論点は3つあります。

 

1つ目は、退職者補充の自動化の見直しです。退職が発生したポジションを機械的に補充するのではなく、業務の必要性を踏まえて都度判断します。

2つ目は、採用ペースの調整です。新卒採用や中途採用の方針を見直し、要員総数の増加ペースをコントロールします。

3つ目は、外部リソース活用の検討です。専門業務や定型業務について、業務委託・派遣・アウトソーシング・外部顧問など正社員雇用以外の選択肢を比較検討します。

 

採用・要員計画の見直しは、対象となる部門の業務遂行に直接影響します。現場部門との丁寧な対話を通じて合意形成を図りながら進めることが不可欠です。

 

 

ここまで整理した6つの論点を一覧にすると以下のようになります。

 

論点 ポイント
①    ベースアップ配分の検討 一律配分から等級・役職・職種に応じた配分への切替え
②    賃金カーブの再設計 フラット化と役割・貢献に応じたメリハリの強化
③    手当の整理・統合 現代の社員構成にそぐわない諸手当の基本給への統合
④    賞与からの原資シフト 既存の変動費部分から基本給への原資の振替
⑤    退職金からの原資シフト 将来の退職給付から基本給への原資の振替
⑥    採用・要員計画の見直し 単価ではなく人数面での原資コントロール

 

まとめ

ここまで、高水準の賃上げが続く中で生じている人件費構造の歪みと、賃上げ原資を確保するために検討すべき6つの論点を整理してきました。重要なのは、短期的な視点ではなく、中長期的な視点で検討をしていくことです。本ブログで整理した6つの論点は、いずれも単独で原資問題を解決するものではなく、自社の状況に応じて組み合わせ、必要に応じて段階的に実行することが求められます。また、不利益変更を伴うケースもあるため、社員への丁寧な説明と合意形成を踏まえて慎重に進めることが不可欠です。

これからの賃上げ対応で重要なのは、「賃上げをするかしないか」ではなく、「賃上げを続けながら、いかに持続可能な人件費構造を再設計するか」です。この問いを経営アジェンダとして位置づけることが、賃上げ原資問題に向き合う第一歩となります。

※コラムは執筆者の個人的見解であり、人事戦略研究所の公式見解を示すものではありません。

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